北方3島訪問記
善行雑学大学で『北方3島訪問記≪国後島~択捉島~色丹島への上陸≫』という講演を聞きました。

北方3島訪問記≪国後島~択捉島~色丹島への上陸≫
2019年2月26日(取材・記事:Tanbakko)
善行雑学大学の2019年2月の講演は『北方3島訪問記≪国後島~択捉島~色丹島への上陸≫』というテーマで行われました。
講師は、アルパインツアーサービス会長の黒川 惠(さとし)氏。黒川氏は、政府派遣による北方領土の日露共同経済活動に関する官民現地調査団の民間プロジェクト専門家として参加しました。
講師は、アルパインツアーサービス会長の黒川 惠(さとし)氏。黒川氏は、政府派遣による北方領土の日露共同経済活動に関する官民現地調査団の民間プロジェクト専門家として参加しました。

2017年10月26日朝、ビザなし渡航専用船「えとぴりか(1,100トン)」で根室港を出港し国後島~択捉島~色丹島を訪問、10月31日朝に根室港に帰還しました。船内5泊というスケジュールでした。


10月27日 国後島に上陸
国後島では、二重カルデラ火山の爺爺(チャチャ)岳(1772m)、日本様式の建築で島民の緊急避難施設でもある「日露友好の家」、泊山カルデラ湖(一菱内湖)と冠雪の北海道・知床連山などを見学しました。
国後島では、二重カルデラ火山の爺爺(チャチャ)岳(1772m)、日本様式の建築で島民の緊急避難施設でもある「日露友好の家」、泊山カルデラ湖(一菱内湖)と冠雪の北海道・知床連山などを見学しました。


10月28日 択捉島を訪問
紗那の湊から指臼山麓へ。散布山(ちりっぷやま)は1582mですでに冠雪していました。地熱発電所(稼働していませんでした)と温泉湧出地、旧日本人学校跡などを見学。ギドロストロイ社のヤンキトホテルで日露のミーティングを行ないました。
紗那の湊から指臼山麓へ。散布山(ちりっぷやま)は1582mですでに冠雪していました。地熱発電所(稼働していませんでした)と温泉湧出地、旧日本人学校跡などを見学。ギドロストロイ社のヤンキトホテルで日露のミーティングを行ないました。


10月29日 色丹島を訪問
景勝地イネモシリ海岸、稲茂尻墓地跡を見学。斜古丹集落展望台からキンチャク型の斜古丹湾を一望しました。色丹島は、1994年10月4日夜の北海道東方沖地震で大きな被害を受け、日本からも支援の手が差し伸べられました。穴潤文化会館で意見交換会を行ない、3島訪問を無事終えることが出来ました。
景勝地イネモシリ海岸、稲茂尻墓地跡を見学。斜古丹集落展望台からキンチャク型の斜古丹湾を一望しました。色丹島は、1994年10月4日夜の北海道東方沖地震で大きな被害を受け、日本からも支援の手が差し伸べられました。穴潤文化会館で意見交換会を行ない、3島訪問を無事終えることが出来ました。


10月29日の午後、国後島経由で根室港をめざして出港。台風22号が爆弾低気圧となって「えとぴりか」号を直撃しましたが、10月31日の朝、根室港に無事帰還することができました。色丹島から直接根室港をめざすことができれば、低気圧の直撃は避けられたとのことです。
【講演を聞いて】
黒川氏は観光産業の専門家として、この官民現地調査団に参加されました。日露共同経済活動の柱の一つに観光の分野があり、北方3島への観光ツアーの可能性は高まってきているとのことです。今後、多くの課題を解決していかなくてはなりませんが、何よりも経済・人的交流を粘り強く進めていくことが大切で、日露間の扉が閉まってしまうことだけは避けなくてはならないと述べておられたのが印象に残りました。
善行雑学大学のホームページ⇒https://zengyo-zatsugaku.jimdofree.com/
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。
2019年02月26日
